ザ・登城TOPへ

ザ・登城

東海地方

尾張(愛知県西部)

広大な運動公園の一画に、模擬天守閣が建つ

新居城[あらいじょう] 別称=旭城・城山城 (平山城) 【所在地】 愛知県尾張旭市城山町長池下

築城時期:  1460年(長禄4)頃 築城者:  水野雅楽頭宗国

あらい じょう 模擬 天守閣
内部は、レストラン・休憩所・展望台などのレストハウス
になっています(四重四階)

 遺 構  《 遺構/土塁  模擬/天守閣》
 新居城は、野球場・テニスコート・弓道場などの広大な運動公園となっている「城山公園」の敷地内に位置している。
名鉄瀬戸線尾張旭駅の北西に聳える四重四階の模擬天守閣が目印です。

 城址としての整備はほとんどされておらず、城址説明板のある本丸跡に土塁が残り、本丸跡より一段下がった弓道場やテニスコート辺りが二の丸跡という。
東南の「彫刻の森」一帯だけが、僅かに城址的雰囲気を味わえる。


 南北朝時代の南朝方功臣・水野又太郎良春は初め、父祖の地である志段味(しだみ・名古屋市守山区)に居住した。

 後に、良春4代の孫(一説には5代とも)雅楽頭宗国は、北西に長池、北東に山田池をひかえて、その間を南へ細長く伸びた丘陵の先端部であるこの要害の地に、新たに城を築いた。これが新居城である。

 その後の、新居城の歴史・廃城などは明らかになっていない。 

現況の通路入口 本丸跡
とは言っても、説明板はありますが、曲輪の形状は無く、
公園内の林という雰囲気です
 
本丸北東側の 土塁 弓道場やテニスコートになっている 二の丸跡
城山公園内の長池
かつて、この辺りは湿地帯で要害であった
植栽の中に、ひっそりと佇んでいた城址碑

土塁遺構 所在説明板

模擬天守閣とスカイワードあさひ(展望塔)
 「新居」とは、新開地の意味で、中世には好んで使われた地名である。新居村を開いた水野良春、新居城を築いたとされる宗国。

 宗国の弟照昌は稲葉に移る。その照昌の子が、史上名高い「毛受(めんじゅ)兄弟」である。織田信長の本能寺での横死後、秀吉対柴田勝家が後継を争った「賎ケ嶽の戦い」。

 この戦いにおいて、越前鯖江付近で1万石を領していた毛受勝助は、兄茂左衛門とともに、北の庄城に敗走する主君勝家の身代わりとなって馬印を預かり、壮絶のうちに湖北の花と散った。





城郭写真記録 さま 三河・尾張および周辺諸国を主に、シンプルな内容、綺麗な写真で城郭を紹介しています
愛知県の城 さま 愛知県出身の三英傑に関係の深い城址を区分し、縄張図も掲載しています

登城アクセス
 車 : 東名高速名古屋IC〜R60〜大久田/左折〜小池町/右斜〜
  左折/藤が丘駅前〜右折/東山町1丁目〜城山町/右折〜左折

駐車場 : 城山公園の駐車場(無料)を利用


「尾張旭市」 公式HPへ

ザ・登城TOPへ 東海地方の城郭へ
ザ・登城TOPに戻る  東海地方の城郭へ

岐阜県愛知県静岡県三重県