| 東海地方 |
| 三河(愛知県東部) |
大給松平氏一族の陣屋、書院が移築先から再度移築されている
奥殿陣屋 (陣 屋) 【所在地】 愛知県岡崎市奥殿町雑谷下10
| 築城時期: 1711年(正徳元) | 築城者: 松平乗真 |
陣屋書院・庭園への正門(模擬)
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| 遺 構 《現存/書院・土蔵・塀 復元/庭園 模擬/門 遺構/土塁・廟所》 | |
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奥殿陣屋は、その昔、持統天皇が命名されたと伝えられる花ぞの山(村積山)の麓、徳川氏の発祥地松平郷(豊田市松平町)に程近い岡崎市奥殿町にあります。
現在の奥殿陣屋の規模は、往時の陣屋のごく一部の敷地に過ぎない。村積山の麓の、周囲からは一段高い地に築かれ、陣屋とは云え一応の構えは施されている。
陣屋裏手から南東方向に山間を少し登って行くと、土塁が残り、歴代藩主の廟所があり、この一帯は歴史を感じさせてくれる空間となっています。
一方、真乗次男の直次は、“大坂の陣”に戦功をあげ大給(豊田市大内町)に陣屋を構え奥殿松平家の祖となった。以後、2度の加増を受け、2代乗次は1万6千石(三河に4,000、信州佐久に12,000石)となって諸侯に列した。
1711年(正徳元)、4代乗真は大給の地から完成した当地(奥殿)に陣屋を移した。
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奥殿陣屋 遠景
奥の高い山が、「三河富士」とも呼ばれる村積山です |
奥殿陣屋 入口
冠木門風の門があります |
書院
昭和60年、竜溪院庫裏として使用されていたものを 現在地に戻した |
書院
左画像反対側の南面の妻側を |
明徳館(学問所)跡 ※左建物は資料館です
弘化3年(1846)、10代藩主松平乗利が設けた藩校跡 |
お食事処「金鳳亭」と庭園「蓬莱の庭」
築山全体を杉苔で覆ってあり、趣深い美しさを醸し出しています |
裏手の山林に残る 土塁 の一部
陣屋の境界を示し、防備と村積山から流れ下る多量の雨水に 対する土手として、陣屋の南と東(山側)約200mに築かれたもの |
更に山側に登って行くと藩主廟所の石垣・塀が見えてきます |
歴代藩主の廟所
初代〜7代、9・10代藩主および室・息女の墓塔が 壮大に立ち並んでいます |
訪問される方はご注意ください |
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一旦園外に出て、南方向の県道39号線沿い北側の、 旧藩士邸でもあり前岡崎市長の中根氏邸宅には、貴重な遺構が残されています (撮影および掲載許可を頂いております) |
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遺構の 築地塀
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遺構の 土蔵
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最後の藩主松平(奥殿)乗謨(のりかた)【後に大給恒】は、老中格陸軍総裁となって洋式の軍制改革を実施し、博愛社(日本赤十字社の前身)の設立に尽力した人物として知られている。
茶道裏千家第11世・玄々斉宗室は7代乗友の五男として生まれ、明治維新の西欧化の波が日本古来の文化に襲いかかり、衰退の危機にあった茶道の復興に尽力し、近代茶道の祖と言われています。
今回の第3次三河・尾張国登城は、往路、遠江の掛川城・横須賀城に登城。三河入りは夜間となった。入浴兼夕食に岡崎IC近くの日帰りスーパー銭湯の玄関暖簾を潜った途端、ドーン・ドーン・ドンと勇ましい和太鼓演舞の始まり・・・聞けば、市内奥殿町の「かがり火」社中による無料公演の乱れ打ち!・・・であった。
陣屋とは、江戸幕府による元和の「一国一城令」とともに築城が御法度となり、
それまで城を造っていなかった小藩はやむを得ず、藩主の屋敷に塀を巡らしたり、堀を作って格好をつけ、政庁・居所とした。これらを陣屋と呼ぶ。
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参 考 サ イ ト |
城郭写真記録 さま 三河・尾張および周辺諸国を主に、シンプルな内容、綺麗な写真で城郭を紹介しています |
| 愛知県の城 さま 愛知県出身の三英傑に関係の深い城址を区分し、縄張図も掲載しています |
幕末の頃の奥殿陣屋前景
(現地資料館のものを撮影・掲載/許可済) |
| 登城アクセス | |
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陸 路 : 東名高速豊田JCT/東海環状道〜豊田東IC〜天神前/左折R248〜北 於御所/左折県道39号線〜桑原町門立/右折県道338号線〜 ※豊田東ICより約3km 駐車場 : 奥殿陣屋の専用駐車場(無料)を利用 |
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