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東海地方

三河(愛知県東部)

「大岡裁き」で有名な大岡越前守忠相が構えた采地陣屋

西大平陣屋[]  (陣 屋) 【所在地】 愛知県岡崎市大平町西上野95-2

築城時期:  1748(寛延元)年 築城者:  大岡忠相(おおおか ただすけ)

にしおおひら じんや 陣屋門
門と塀が復元されています

 遺 構  《 復元/門・塀 》
 西大平陣屋は、東名高速道岡崎ICのすぐ南、男川小学校の隣に位置し、この小学校から、豊川稲荷社の祠のある辺りが敷地であつた。

 現在、陣屋跡には陣屋門と塀が復元されています。また敷地内にある稲荷神社は、元々この西大平陣屋内にあった稲荷社で、陣屋を構えた初代・大岡忠相の信仰が厚かったそうである。


 大岡忠相は、伊勢・山田町奉行所を経て、8代将軍徳川吉宗により江戸町奉行に抜擢された。

 大岡忠相は、最初、旗本であったが、1748(寛延元)年、長年の功績により、前将軍吉宗の口添えもあり、三河国宝飯・渥美・額田郡内に加増を受けて一万石の大名に列した。

 忠相は参勤交代を免れる定府大名であったため、江戸との連絡に便利な東海道筋であり、領地の最も多かった三河のこの領国に采地陣屋を構えた。これが西大平陣屋である。
 大岡家は、7代続いて明治に至った。

裏側から陣屋門を見る
高麗門形式です 
陣屋跡内部の様子
中央の建物は稲荷社の祠 
 ご存知、大岡越前守忠相は、江戸町奉行を19年の長きにわたって勤め、さらに寺社奉行、奏者番となって、吉宗政権下にあって大いに功績を挙げた。加増を受け大名に列したのは忠相72歳の時、75歳で没しているので忠相が藩主であったのは僅か3年間であった。

 大岡家は、参勤交代が無く、江戸に常駐する定府大名であったため、家臣団の大部分は江戸藩邸に住んでおり、この領国を治めるために置かれた采地陣屋詰めの家臣は、郡代1人・郡奉行1人・代官2名・手代3名・足軽4〜5人程度の人員であった。





城郭写真記録 さま 三河・尾張および周辺諸国を主に、シンプルな内容、綺麗な写真で城郭を紹介しています
愛知県の城 さま 愛知県出身の三英傑に関係の深い城址を区分し、縄張図も掲載しています

登城アクセス
 車 : 東名高速岡崎IC〜R1/左折合流〜大平町新寺/左折〜100m弱で右折
  〜市道〜左折/大平郵便局〜約130m直進右側

駐車場 : 無し


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