| 東海地方 |
| 三河(愛知県東部) |
「大岡裁き」で有名な大岡越前守忠相が構えた采地陣屋
| 築城時期: 1748(寛延元)年 | 築城者: 大岡忠相(おおおか ただすけ) |
陣屋門
門と塀が復元されています |
| 遺 構 《 復元/門・塀 》 | |
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西大平陣屋は、東名高速道岡崎ICのすぐ南、男川小学校の隣に位置し、この小学校から、豊川稲荷社の祠のある辺りが敷地であつた。
現在、陣屋跡には陣屋門と塀が復元されています。また敷地内にある稲荷神社は、元々この西大平陣屋内にあった稲荷社で、陣屋を構えた初代・大岡忠相の信仰が厚かったそうである。
大岡忠相は、最初、旗本であったが、1748(寛延元)年、長年の功績により、前将軍吉宗の口添えもあり、三河国宝飯・渥美・額田郡内に加増を受けて一万石の大名に列した。
忠相は参勤交代を免れる定府大名であったため、江戸との連絡に便利な東海道筋であり、領地の最も多かった三河のこの領国に采地陣屋を構えた。これが西大平陣屋である。
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裏側から陣屋門を見る
高麗門形式です |
陣屋跡内部の様子
中央の建物は稲荷社の祠 |
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ご存知、大岡越前守忠相は、江戸町奉行を19年の長きにわたって勤め、さらに寺社奉行、奏者番となって、吉宗政権下にあって大いに功績を挙げた。加増を受け大名に列したのは忠相72歳の時、75歳で没しているので忠相が藩主であったのは僅か3年間であった。
大岡家は、参勤交代が無く、江戸に常駐する定府大名であったため、家臣団の大部分は江戸藩邸に住んでおり、この領国を治めるために置かれた采地陣屋詰めの家臣は、郡代1人・郡奉行1人・代官2名・手代3名・足軽4〜5人程度の人員であった。 |
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参 考 サ イ ト |
城郭写真記録 さま 三河・尾張および周辺諸国を主に、シンプルな内容、綺麗な写真で城郭を紹介しています |
| 愛知県の城 さま 愛知県出身の三英傑に関係の深い城址を区分し、縄張図も掲載しています |
| 登城アクセス | |
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車 : 東名高速岡崎IC〜R1/左折合流〜大平町新寺/左折〜100m弱で右折 〜市道〜左折/大平郵便局〜約130m直進右側 駐車場 : 無し |
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