| 東北地方 |
| 陸中(岩手県) |
平安時代につくられた古代城柵を復元
| 築城時期: 803(延暦22)年 | 築城者: 坂上田村麻呂(さかのうえたむらまろ) |
正門である外郭南門と接続する外郭築地塀、櫓
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| 遺 構 《 復元/掘立柱官衙建物・櫓・城門・築地塀・目隠塀・土塁・大溝 》 | |
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志波城跡は、昭和51〜52年(1976〜77)に東北自動車道建設に伴う発掘調査中に築地塀や大溝、竪穴住居跡が発見され、その後の範囲確認調査の成果を受け、昭和59年(1984)に「志波城跡」として国史跡に指定され、現在は、平安時代につくられた古代城柵「志波城」を復元した歴史公園「志波城古代公園」として整備されています。
東北自動車道が城址内を横切り、高速を走っていても遠望することが出来ます。
外郭と政庁の規模は、鎮守府胆沢城(岩手県奥州市)を上回り、国府多賀城(宮城県多賀城市)に匹敵する大きなもので、陸奥国最北端の行政府として、またさらに北方のエミシに対する拠点として、多数の兵士が城内に居住している城柵は他になく、志波城が朝廷の最前線基地として軍事的役割が大きかったことがわかります。 現在、外郭築地塀が南面一辺(約500m)と、この外郭築地塀の中央に外郭南門が、また築地塀をまたいで60m間隔に櫓が復元されています。政庁部分には 、南、東、西の各城門とそれに接続する政庁築地塀が、また南門内側には目隠塀が設置され、ガイダンス施設として活用する予定の掘立柱官衙建物壱棟が復元されています。
志波城は、古代東北地方に造営された「城柵(じょうさく)」の一つです。 古代日本では、大化の改新(645年)を契機として「律令」という法律を基に,全国を「国・郡・里」という行政単位で朝廷が土地と人々を直接支配し,税を納めさせていました。 しかし,東北北部の人々はそれに従わず,「蝦夷(エミシ)」と呼ばれていました。 そのエミシを統治するために設置された行政施設が「城柵」です。 774(天平神護10)年の海道蝦夷の反乱に始まるエミシと朝廷側の武力衝突(38年戦争)は、781(天応元)年に桓武天皇が即位すると、朝廷軍が岩手県南部への軍事行動を開始し、胆沢地方を中心に大きな武力衝突があった。
797(延暦16)年に征夷大将軍となった坂上田村麻呂は朝廷軍を勝利に導き、802年に胆沢城を造営し、その翌803(延暦22)年には志波城を造営して、北上盆地北部まで律令支配下となりました。
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城址碑
後方に見えるのは築地塀と櫓です |
外郭南門
掘立柱二層五間一戸櫓門の構造の正門です |
木橋上から見た外郭南門手前の大溝(東側部分)
西側も同じように復元されています |
外郭築地塀の型枠
実物大でデモ展示してあります |
外郭築地塀と櫓
かつて、築地塀は一辺が840mあり、四方で3,360mにもおよび、版築工法を用い、屋根はヒバ材の板を土で押さえた上土としています。基底幅2.4m,高さ4.5m,1スパン6m |
櫓
築地塀をまたいで設置されている櫓は、当時の弓矢の射程距離を考慮して約60m間隔で設置され、上階はスノコ張りとした床上に、矢を収めるための矢倉を設けています |
政庁南門手前より振り返って、外郭南門(内側)を見る
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政庁南門と政庁築地塀
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政庁南門
志波城の中枢である政庁の正門にあたる政庁南門は、 掘立柱単層の八脚門であったことが発掘調査でわかった |
目隠塀
目隠塀は、政庁南門を入るとすぐにある掘建柱の板塀で、門の扉が開いた時に政庁の中の様子が見えないようになっています |
政庁西門
発掘調査により,政庁の東西門は造営当初の棟門(一間門)から四脚門に建て替えられていることがわかりました。 |
政庁東門
桁行1間(3.9m)、梁行2間(3.3m)、棟高6.0mの規模で、 屋根はサワラ割板のコケラ葺きです |
官衙建物
政庁の周囲の官衙群のうち、南東官衙の中心的な建物の1つであったと思われる建物を復元して、政庁・官衙地区のガイダンス施設として活用する予定である |
城址航空写真 「ウェブもりおか」さま 提供 |
志波城跡の地形と構造
(「ウェブもりおか」さま 提供) |
| 登城アクセス | |
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車 : 東北道盛岡南IC〜左折/県道36号線〜右折/突き当たり〜県道13 号線〜左折/田貝〜市道〜 駐車場 : 志波城の専用無料駐車場を利用 |
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