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ザ・登城

東北地方

陸奥(青森県)

発掘により復元された中世城郭のテーマパーク

根城[ねじょう]   (平 城)  【所在地】 八戸市根城

 築城時期:  1334(建武元)年  築城者:  南部師行

ね じょう 上馬屋のハリボテの駿馬
上馬屋は当主が所有していた馬を繋いでいたところで、
南部地方は古くから駿馬の産地として知られています

 遺 構  《 復元/主殿・城門・馬屋・工房・納屋・板倉  遺構/曲輪・土塁・空堀・礎石・井戸
  跡 》
 根城は、平成6(1994)年、発掘成果に基づき中世の城が復元された初の事例として一躍脚光を浴びた。

 城は八戸市街地の西端にあり、馬渕川河口から5キロメートル上流の河岸段丘上縁辺部に築かれている。
東は沖積平野が広がり、西側は巨大な沢(西ノ沢)を挟んで南側へと丘陵斜面が続いている。西端に本丸を置き、本丸の北東端に二つの曲輪からなる中館、その東側に東善寺館、南東隣に三つの曲輪からなる岡前館、南側に出丸状に突出した沢里館が配されていた。
馬渕川と城との間には商人や職人の住む町屋(下町)が、城外東側には侍屋敷が建ち並んでいた。

 本丸の東方に、六つの曲輪が南北それぞれに三つずつ整然と並び、南側に凸状に沢里館が出っ張る構造で、各曲輪間は、幅6〜12m、深さ2〜9mの堀によって隔てられていた。
堀のほとんどが断面V字を呈す薬研堀であったことが発掘調査で確認された。最大の堀が本丸を囲む堀で、幅約20m、深さ9mと圧倒的なスケールであった。

 中世城郭としての根城跡は、昭和53年度から11年間に及ぶ発掘調査とその成果に基づく9年間の復元整備によって完成しています。
 調査では、掘立柱建物跡354棟、竪穴建物跡82棟をはじめ門、塀、柵跡などが多数発見されました。
 根城は大規模な建て替えだけで16回、合わせて17の時期にわかれます。復元整備は、本丸の建物跡が最も良好に残っている第16期(安土桃山時代)を対象に行なわれました。

 有料部分となる本丸内には主殿を中心に、馬屋、工房、鍛冶工房、板蔵、納屋、城門などが復元されています。主殿や工房内部の道具、丁度品や、さらに、馬などまでが、当時の状況を再現して展示してあるのが凄い。


 1333(元弘3/正慶2)年、南朝方に属する武将・北畠顕家は陸奥国司として後醍醐天皇の皇子・義良親王を奉じて陸奥国に下向した。この時、甲斐源氏の流れを汲む南部光行(南部氏の祖)から4代目にあたる南部師行が国司代に任じられて同行した。
 師行は翌年の1334(建武元)年、糠部郡八森(八戸)の地に城を構えた。師行はここを、南朝方の拠点(根本)となる城という願いから「根城」と名付けたと言われる。
 津軽地方にまで勢力を伸長した師行は、北畠顕家とともに足利尊氏討伐に遠征し、和泉国石津川(大阪府堺市)の地で北朝方の高師直との戦いで顕家と共に戦死した。

 師行の死後は弟の政長が跡を継ぎ、南朝勢力が衰えても南朝への忠誠を守り通したが、南部氏の勢力も次第に弱体化していった。
 1392(明徳3)年、南北朝が合体。北朝方であった宗家の三戸南部氏のとりなしもあって、甲斐の南部の本領地(現在の山梨県南部町及び身延町)を治めていた南部政光が根城に移って南部氏の再興を図った。のちに根城南部氏(八戸氏、後の遠野南部氏)は八戸城に拠点を移し(根城南部氏第8代南部(八戸)政光が七戸に隠居し、その子・政慶が七戸氏を名乗り七戸城を居城とする)、優勢となった三戸南部氏とともに、秋田の安東氏や蛎崎氏と戦った。

 1590(天正18)年の”小田原征伐”に際し、三戸城主・南部信直が堀越城の津軽(大浦)為信に一歩遅れをとったものの、豊臣秀吉のもとへ参陣して所領安堵の朱印を受け、南部七郡(糠部・岩手・紫波・稗貫・和賀・閉与・鹿角)を支配するようになった。この際、根城南部氏は三戸南部氏(のちの盛岡南部氏)の配下に位置づけされた。

 秀吉の奥州平定後、根城は破却される運命となり、堀や土塁、門・柵といった防御施設のみ破却され、生活空間である居館はそのまま存続、使用され続けた。

 1627(嘉永4)年、根城南部氏22代の八戸直義は、主の盛岡藩2代藩主南部利直の命により遠野城(別称=鍋倉城)(岩手県遠野市)に移封となり、一部存続していた根城も完全に廃城となった。

隣接する八戸市博物館前の南部師行銅像 入口に移築されている八戸城東門
この門は、もともと根城の大手門であったと伝承されている
城門を潜るとすぐにある三番堀(北側) 三番堀の通路南側部分
東善寺跡 芝生広場と中館との間の堀跡
堀底には花菖蒲が植えられています
中館にある本丸模型 同じく中館にある郭配置模型
画像を切り抜き加筆しています
本丸へ通じる東門
退出する時の撮影ですので閉まってしまいました
納屋
地面を30センチほど掘り窪めて土間とし、
米・味噌・梅干などを貯えていた
平面表示してある奥御殿跡
奥の建物は、板蔵(左)と鍛冶工房(右)です
井戸
板蔵
当主やその家族の道具や衣類を入れていたところで、壁は厚さ6センチの厚板を柱と柱の間に落とし込んであります

鍛冶工房の内部
野鍛冶場
傾きかけて今にも壊れそうなリアルさが気に入りました
それにしても、冬季の降雪の時はどうなるのかな〜

平面表示された常御殿跡越しに主殿を見る

西門を内側から見る
一葉一字供養塔
享保3(1718)年、八戸藩士の接待宗硯は、藩の繁栄と
先祖や根城の戦没将兵を供養するため、法華経を一枚
の葉(板)に一字づつ書き写し、この場所に埋めたという
中馬屋
来客の馬が繋がれていたところです
こっちにも馬が繋がれていました(勿論、張子ですが…)
主殿 主殿の広間
正月十一日の儀式の様子を再現しています
主殿内部 囲炉裏 本丸北門

「史跡 根城の広場」 配置図
(現地案内板より)

空撮写真
(現地案内板より)

馬の装い 各部詳細説明
(現地案内板より)

登城アクセス
 車  : 八戸道八戸IC〜左折/県道29号線〜右折/突き当たり〜国道104号線
  〜左折/博物館前〜

駐車場 : 根城の専用無料駐車場を利用


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