| 東北地方 |
| 羽後(秋田県) |
みちのくの小京都“角館”の知られざる古城山
| 築城時期: 1424(応永31)年 | 築城者: 戸沢家盛 |
青柳家南門
深い木立と重厚な武家屋敷が今もなお、藩政時代の面影を残す角館 青柳家は、三千坪の屋敷内に六つの資料館があり、 角館歴史村 青柳家 角館の武家屋敷
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| 遺 構 《 現存/武家屋敷 遺構/曲輪・土塁・堀 》 | |
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城下町が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている角館は、江戸時代の雰囲気をそのまま残し、全国から観光客を招致している一大観光地です。
武家屋敷が建ち並ぶのだから、「きっと昔は殿様もいたんだろう」とは思われるかも知れませんが、古城山の城跡まで足を運ぶ人は稀であろう。
角館城のある古城山は、武家屋敷街の北側、標高166mの急峻な独立丘陵上にある。
古城山の北東側には院内川が、北西側には檜木内川が蛇行し、麓の武家屋敷街の南方には玉川が流れる要害の地となっている。
この古城山には、いたるところにソメイヨシノが植えられ、桜の最盛期には古城山全体が桜に包まれ、眺望が良い南麓眼下に広がる武家屋敷街と、その西側の桧木内川の河川敷2キロに渡る桜並木が別世界を演出するそうです。
戸沢氏時代と芦名氏入封当初、城下町は角館城(古城山)の東麓一帯に配されていたが、城山の南麓に新たに建設された城下町が、現在の角館の町並みである。
1424(応永30)年、小松山城主の菅(角館)利邦が小野寺氏と通じて謀叛を起こしため、戸沢家盛がこれを討って小松山城を開城させ、後に門屋城から居城を移転したとある。
1602(慶長7)年、戸沢政盛は常陸松岡(茨城県高萩市)4万石へ転封となり、替わって常陸水戸より佐竹義宣が羽後国秋田・仙北へ入部し、角館城には伊達政宗に会津(黒川城)の地を追われた義宣の弟・芦名盛重(後に義勝と名を改める)が1万5千石で入れ置かれ、現在の角館のもととなる町割をおこなった。
1615(元和元)年の一国一城令の発令に伴い、元和6年、角館城は廃城となり、城主は麓の屋敷に居を移した。
佐竹北家とは、本家の他の有力な四家(湯沢の南家、大館の西家、四家の筆頭として久保田城下に常住した東家)のうちの一つ(東西南北は常陸時代の拠点の位置から言う)であり、城代としての「所預(ところあずかり)」として機能した。
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登り口にある古城山城跡の標柱
迫り来る夕闇と「熊出没注意」の看板に登城を断念しました |
少し先の登り口には、車止めの鎖がありました
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| 登城アクセス | |
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車 : 秋田道大曲IC〜右折〜国道105号線〜左折/城廻〜国道46号線〜 右折/武道館手前〜 駐車場 : 城址登り口の駐車スペースを利用 |
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