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ザ・登城

東北地方

羽後(秋田県)

土塁つくりの面影をかろうじて残す尾崎の城

本荘城[ほんじょうじょう] 別称=鶴舞城・尾崎城  (平山城)  【所在地】 由利本荘市尾崎

築城時期:  1613(慶長18)年ころ 築城者:  楯岡満茂

ほんじょう じょう 三の丸跡(市役所脇)に建つ 模擬 城門

 遺 構  《 模擬/城門・冠木門・土塀  遺構/曲輪・土塁・水濠 》
 本荘城は本荘平野を見渡せる小高い丘の尾崎山にあり、南北に伸びる丘陵を堀切で区切ったところの頂上部に本丸を置いている。現在、本丸・二の丸と三の丸の一部は本荘公園となっている。
 麓の三の丸跡には市役所が建っているが、そのそばに、水濠と土塁の一部が現存している。また、市役所周囲には模擬の城門が築かれている。


 “関が原の合戦”後、由利郡は山形城(山形県山形市)の最上義光の所領となり、重臣の楯岡(本城)満茂に治めさせた。はじめ亀田に入るが、1613(慶長18)年頃、尾崎山に本荘城を築いて居城とした。

 1622(元和8)年、最上氏が御家騒動により改易されたおり、5万5千石で本多正純が宇都宮15.5万石より移封されたが、拒否した正純は将軍秀忠の激怒をかい、千石だけの宛がい扶持で久保田藩・佐竹氏預かりの身となる。

 正純の替わりに本荘城には、(羽後横手城の小野寺氏の配下に属し、所領4,500石を得ていたが、関が原の戦功で常陸府中城1万石を領していた)六郷政乗が旧領に復する形の2万石で入り、六郷氏が11代続いて明治を迎えた。

 戊辰戦争では新政府軍側に属したため、奥羽越列藩同盟側の庄内藩の攻撃を受け、城を自焼して秋田藩に退去した。

 1804(文化元)年の“文化大地震”では、陸地化した象潟の土地問題で蚶満寺(かんまんじ)との間に係争が起こっている。

三の丸の土塁と水濠
表掲画像の模擬城門の向かって右側部分
市役所前の水濠
市役所脇にある模擬冠木門 二の丸跡東側にある模擬土塀

模型
(修身館内部に展示)

本丸跡に建つ修身館

登城アクセス
 車  : 秋田道横手IC〜右折/市道〜左折/朴田〜国道107号線・105号線〜
  本荘公園

駐車場 : 本荘公園の無料駐車場を利用


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