ザ・登城TOPへ

ザ・登城

近畿地方

河内(大阪府東部)

関東の覇者、小田原北条氏一族が明治まで存続した陣屋

河内 狭山陣屋  (陣 屋) 【所在地】 大阪府大阪狭山市狭山3丁目

築城時期:  1616年(元和2) 築城者:  北条氏信

さやま じんや 陣屋跡銘碑
上屋敷 跡地にある石碑

 遺 構  《 移築/城門 》
 狭山陣屋は、かつて、大阪狭山市役所近くに今も残る広大な狭山池の東側に築かれていた。
陣屋は上屋敷と下屋敷とに分かれ、現在、陣屋跡には遺構は何も残っていないが、上屋敷跡の府道198号線沿い東池尻3丁目交叉点脇の小公園には、石碑と案内説明板が設けられている。また、下屋敷跡は、廃園となった狭山遊園地跡地に築かれていた。

 狭山陣屋の唯一の遺構として、陣屋表門が堺市西本願寺別院の西門として移築さ れて残っている。重厚な門で、かつての陣屋の格式を偲ぶことができます。


 1590(天正18)年、豊臣秀吉による“小田原征伐”により、関東の覇者北条氏は滅び、徳川家康の娘婿でもあった当主氏直は高野山に蟄居の身となる。翌年、赦免され秀吉から新たに1万石の領地を与えられたが、同年、早雲を祖とする後北条氏5代氏直は病没する。

 河内に領地を得ていた和平派の前・伊豆韮山城主北条氏規(氏直の叔父)の子氏盛が北条家の名跡を継ぎ、1600(慶長5)年、氏盛は、氏直の遺領と父氏規の遺領とを併せて領し、狭山1万1千石で大名として列する。

 陣屋は、氏盛の嫡男・狭山2代藩主氏信によって1818(元和2)年に築かれ、上屋敷は3代氏宗、下屋敷は5代氏朝によって築かれた。

 途中1万石に減るが、戦国関東の雄・北条氏は畿内河内の地で近世大名として明治まで存続し、12代氏恭の時に維新を迎える。

上屋敷 絵図
現地案内板より 
下屋敷 絵図
現地案内板より

移築 陣屋表門
西本願寺堺別院
所在地 : 大阪府堺市神明東2丁目

裏側から見た 西門(移築陣屋表門)

登城アクセス
 車  : 阪和道美原南IC〜国道309号線〜右折/舟渡南〜市道
駐車場 : なし


「大阪狭山市」 公式HP へ

ザ・登城TOPへ 近畿地方の城郭へ
ザ・登城TOPに戻る  近畿地方の城郭へ

滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県