ザ・登城TOPへ

ザ・登城

近畿地方

山城(京都府南部)

豊臣秀吉が淀殿の産所とするために修築した城

淀古城  (平 城) 【所在地】 京都府京都市伏見区納所[のうそ]北城堀

築城時期:  室町時代中期、 1589(天正17)年 築城者:  畠山政長、 豊臣秀吉

よど こじょう 淀古城跡の一部といわれる妙教寺

 遺 構  《 なし 》
 京のすぐ南の咽喉部に位置し、桂川に宇治川そして木津川が合流して淀川となる水陸の要衝にあたるこの地には、新旧二つの城が築かれています。

 室町時代以来の歴史を持つこの城は、江戸時代に築かれた近世城郭の淀城に対して、淀古城と呼ばれています。
淀古城は、京を確保しようとする勢力、または京をうかがう勢力が争奪を繰り返した。

 これら血で血を争う争奪の歴史よりも、この淀古城を有名にしたのは、実はかの淀殿である。豊臣秀吉の側室となった彼女(茶々)は懐妊し、我が子を待ち望む秀吉に希望を与えた。
 産所とするために修築された淀古城に入った茶々は、見事に男子を出産する。ここから、彼女は淀殿、後世淀君と呼ばれるわけである。
 ただし、この城で生れた子・鶴松は3歳で早世してしまった。鶴松の死で、甥の秀次が秀吉の養子となり関白となる。しかし、“朝鮮の役”のさなか、淀殿が秀頼を生み、軋轢から秀次は破滅し、この城を預かっていた木村常陸介も秀次事件に連座、城は廃城となる。

 淀古城は、近世城郭の淀城から約500m程北の桂川に面した納所小学校北側の妙教寺一帯と言われています。
 妙教寺境内に小さな「淀城」の石碑が建てられているだけで、遺構は何も残っていない。納所小学校と妙教寺の間を流れる小川が堀跡を偲ばせてくれる。


 淀古城は、築城年代は定かではないが、室町時代中期に畠山政長が西軍の畠山義就に備えて城を構えたとされている。

 1504(永正元)年、摂津の守護代薬師寺元一が管領細川政元に反抗して立て篭ったが攻め落とされたとあります。

 1559(永禄2)年、京を制圧した三好長慶は細川氏綱を淀古城に配置した。1568(永禄11)年、織田信長が入京し、淀古城は織田軍に攻められ落城した。

 1589(天正17)年、天下人・豊臣秀吉は側室淀殿が懐妊すると、弟秀長に命じて淀古城を修築した。

 1592(文禄元)年に木村常陸介の預かりとなったが、文禄3年に廃城となり、その資材等は伏見城築城に利用された。

妙教寺境内に建てられている「淀城」の石碑 堀跡を偲ばせる小川
南側の納所小学校と妙教寺との間を流れる 
妙教寺の本堂
戊辰戦争の開戦となった鳥羽伏見の戦い
(慶応3/1867年)での弾痕が本堂にあります
 
妙教寺から目と鼻の先の堤防上から見た桂川
対岸は長岡京市になります 

※淀君:かつては広く使われていたが、「淀君」の「君」は遊女を指す言葉であり、江戸時代に広まった軽蔑語であるため、
現在では殆ど使われなくなった。

登城アクセス
 車  : 名神高速京都南IC〜国道1号線〜大手筋/右折〜府道13号線〜
  右折/納所〜市道〜納所小学校北側

駐車場 : 無し(路上駐車しかないが周辺道路は狭いので要注意)


「伏見区役所」 公式HPへ

ザ・登城TOPへ 近畿地方の城郭へ
ザ・登城TOPに戻る  近畿地方の城郭へ

滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県