| 近畿地方 |
| 山城(京都府南部) |
豊臣秀吉が淀殿の産所とするために修築した城
淀古城 (平 城) 【所在地】 京都府京都市伏見区
| 築城時期: 室町時代中期、 1589(天正17)年 | 築城者: 畠山政長、 豊臣秀吉 |
淀古城跡の一部といわれる妙教寺
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| 遺 構 《 なし 》 | |
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京のすぐ南の咽喉部に位置し、桂川に宇治川そして木津川が合流して淀川となる水陸の要衝にあたるこの地には、新旧二つの城が築かれています。
室町時代以来の歴史を持つこの城は、江戸時代に築かれた近世城郭の淀城に対して、淀古城と呼ばれています。
これら血で血を争う争奪の歴史よりも、この淀古城を有名にしたのは、実はかの淀殿である。豊臣秀吉の側室となった彼女(茶々)は懐妊し、我が子を待ち望む秀吉に希望を与えた。
淀古城は、近世城郭の淀城から約500m程北の桂川に面した納所小学校北側の妙教寺一帯と言われています。
1504(永正元)年、摂津の守護代薬師寺元一が管領細川政元に反抗して立て篭ったが攻め落とされたとあります。
1559(永禄2)年、京を制圧した三好長慶は細川氏綱を淀古城に配置した。1568(永禄11)年、織田信長が入京し、淀古城は織田軍に攻められ落城した。
1589(天正17)年、天下人・豊臣秀吉は側室淀殿が懐妊すると、弟秀長に命じて淀古城を修築した。
1592(文禄元)年に木村常陸介の預かりとなったが、文禄3年に廃城となり、その資材等は伏見城築城に利用された。
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妙教寺境内に建てられている「淀城」の石碑
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堀跡を偲ばせる小川
南側の納所小学校と妙教寺との間を流れる |
妙教寺の本堂
戊辰戦争の開戦となった鳥羽伏見の戦い (慶応3/1867年)での弾痕が本堂にあります |
妙教寺から目と鼻の先の堤防上から見た桂川
対岸は長岡京市になります |
| 登城アクセス | |
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車 : 名神高速京都南IC〜国道1号線〜大手筋/右折〜府道13号線〜 右折/納所〜市道〜納所小学校北側 駐車場 : 無し(路上駐車しかないが周辺道路は狭いので要注意) |
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