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紀伊(和歌山県)

種子島鉄砲をいち早く取り入れ、数万の僧兵軍団を擁した根来衆

紀伊 根来寺 別称=根来衆 (城郭寺院) 【所在地】 和歌山県那賀郡岩出町根来2286
更新 合併(2006.04.01)により 和歌山県岩出市根来2286 に住所変更 

築城時期:  1288年(正応元) 築城者:  興教大師(覚鑁上人[かくばんしょうにん]

ねごろ じ 現存 根元大塔(多宝塔)
国宝指定
1496年(明応5)の建立

 遺 構  《 現存/根本大塔(多宝塔)・大伝法堂・大門  遺構/庭園 》
 根来寺の広い敷地内には見どころが多く、春には桜、秋にはもみじなど訪れる人々を年中楽しませてくれている。
ひときわ美しく咲くしだれ桜は有名で、関西の桜の名所として知られているが、ここが戦国時代の一大軍事拠点であったことを知る人は少なく、豊臣秀吉による紀州征伐時に焼土と化した殺伐とした雰囲気など微塵も感じることは無い。

 根来一山は、室町時代末期の最盛期には坊舎2700余、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧兵1万余を擁する一大軍事集団であった。

 秀吉の根来寺焼き討ちの際に延焼を免れた多宝塔(根元大塔)には、この時の火縄銃の弾痕が今でもはっきり残っています。


 新義真言宗総本山の根来寺は、大治5年(1130)宗祖かくばん上人が高野山に創建したのが始まりといわれ、高野衆徒との対立により、正応元年(1288)現在の根来の地に移転した。 

 室町時代末期に僧兵を擁した根来衆の勢力は、紀州のみならず、南河内から和泉、岸和田付近まで及んでおり、鉄砲をいち早く取り入れた強力な武装集団として君臨していた。

 1585(天正13)年、豊臣秀吉の紀州征伐時の徹底壊滅策により根来勢は根絶され、根来一山は灰燼と化した。

根来一山の総門へ至る進入路   総門
嘉永3年(1850)に再建された大門です 
大伝法堂へ至る参道の一部 大伝法堂
根来寺の本堂、享和元年(1801)の再建 

境内にあった根来塗発祥の地の石碑
光明真言殿
開山興教大師(かくばん上人)の御尊像を安置
享和元年(1801)に建立
 

登城アクセス
 車  : 阪和道和歌山IC〜国道24号線〜左折/備前〜県道63号線〜右折/
  岩出総合運動公園近く〜市道

駐車場 : 参拝者用の無料駐車場を利用


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