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ザ・登城

近畿地方

大和(奈良県)

日本三大山城の一つ、山城では珍しい水堀の遺構が残る

大和 高取城 別称=芙蓉城 (山 城) 【所在地】 奈良県高市郡高取町上子嶋

築城時期:  南北朝時代 築城者:  越智氏

たかとり じょう 天守台本丸高石垣(西面)

 遺 構  《 遺構/天守台・曲輪・石垣・水堀・堀切・縦堀・井戸  移築/門 》
 高取城は奈良盆地の南方に聳える吉野山系の標高583mの急峻な山頂に築かれた連郭式の山城である。
城内の面積は約10,000m²、周囲は約3km、城郭全域は総面積約60,000m²、周囲約30kmにも及んだ。山頂一帯に残る巨大な石垣群は見るものを圧倒し、その城郭規模の壮大さを感じさせる。
山城としては日本一の広さを誇り、備中松山城美濃岩村城とともに日本三大山城の一つに数えられる。

 城は二の門、吉野口門、壺阪口門以内を城内と称し、それ以外の諸曲輪を含めた山城全域を郭内と称していた。
大手道は二の門〜三の門〜矢場門〜松の門〜宇陀門〜千早門〜大手門〜十三間多聞〜十五間多聞〜下の門〜上の門と10ヶ所の門を経て本丸へとやっとたどり着く。これらの各門は右折れを多用する城門を構えていた。

 千早門から内が三の丸、大手門から内が二の丸、上の門より内が本丸で、しかも本丸は、大天守・小天守・硝煙櫓・鉛櫓を多聞櫓で連結した天守曲輪の内郭と、一段下に天守曲輪を取り囲む外郭との二段構造に分かれた、非常に堅固な縄張りとなっている。

 天守台は本丸北西端に位置し、天守閣は三重三階地下一階であった。本丸および本丸下曲輪の西側には二の丸が配されており、かつては二の丸に藩主の居館であった二の丸御殿が設けられていた。
かつては、大天守、小天守、27の櫓、33の城門を持つ広大な山城であった。見晴らしがすこぶる良く、吉野、大峰、金剛の山々、大和平野が一望できます。

 山城であるため、尾根筋には中世城郭と同様に掘切が設けられており、とりわけ南東の吉野口門に通じる赤土郭の曲輪先端にある弥勒堀切は石垣によって築かれた巨大な堀切である。


 南北朝時代に越智氏よって築かれた高取城は、当初、越智氏の本城である貝吹山城の詰めの城として機能していた。越智氏の支配が長く続き、戦国時代になるとここが越智氏の本城となっていたようである。 

 1580年(天正8)、織田信長による「大和一国一城令」により一端廃城となったが、天正12年には筒井順慶により大和郡山城の詰の城として復興を開始した。

 天正13年、筒井定次は伊賀上野城へと移され、大和・和泉・紀伊三国は豊臣秀長が領することになり、郡山・秋山・高取の3城による大和支配体制を固め、高取城にはは城代として本多正俊が入った。
 本多氏は秀長の後嗣となった豊臣秀保に仕え1万5千石を与えられた。正俊の子の俊政は関が原の軍功により1万石の加増を受け高取藩2万5千石の初代藩主となった。しかし、子の政武は1637年(寛永14)嗣子無く断絶。

 天領ののち、寛永17年、旗本の植村家政が2万5千石で城主となり、植村氏が14代続いて明治まで領した。

はじめに、大手道口から登城
詳しい縄張図をご覧になりたい方は、
「高取町観光ボランティアガイドの会」の

高取城郭図
をご覧ください。
高取城址遠望
大手口にあたる上小嶋地区より望む 
上子嶋沢砂防公園脇路肩の駐車スペース
ここから徒歩になります 
黒門跡の登城口 登城路と宗泉寺入り口との分岐点
黒門跡から二の門跡に通ずる七曲り道 黒門跡から二の門跡に通ずる一升坂
二の門跡
麓の宗泉寺より二の門跡まで約1000m 
二の門脇の水堀
山城では非常に珍しい水堀です 
国見櫓跡からみた大和平野
晴れた日には、奥の生駒山脈の稜線に
大阪のビル街が見えるそうです
 
矢場門跡
松の門跡 宇陀門跡
城代屋敷跡(三の丸)の石垣 千早門跡
大手門跡
右枡形虎口になっています
大手門から内が二の丸です 

十三間多聞跡
二の丸跡 新櫓跡(右端)石垣
二の丸から本丸下曲輪を見上げる 
十五間多聞跡
この門内から本丸下曲輪になります 
本丸下曲輪の太鼓櫓跡
本丸下曲輪より見た本丸高石垣 本丸高石垣(南東面)
本丸下曲輪から本丸への枡形虎口 天守台脇にある井戸跡と穴蔵入り口
本丸跡より見た南の十津川方面 天守台
天守台の内部 天守台石垣上から下を見おろす
天守台上より見た本丸跡 天守台上より本丸下曲輪から本丸への虎口部を見る
壺阪寺経由・七つ井戸下部駐車場より二の丸跡まで直登する
七つ井戸口より直登する
垂直に近いような急峻さです 
何段にもなる石垣ですが、途中、
崩落しかけている箇所があります
 

七つ井戸のうちの一つ
こちらは前記とは別の登城経路・壺阪口門となりますが、
次に壺阪寺・八幡神社のある八幡曲輪を経由して、
壺阪門跡を経て至る
壺阪口中門跡
本丸石垣西側にある城址銘碑 『巽高取雪かと見れば、
雪ではござらぬ土佐の城』

と景観をうたわれた歌碑
現在位置を表す地図や、説明が
表示されるQRコード付き携帯ナビの
案内標識が随所に設置されています

大手口二の門外に置かれている 猿石
城下町に下る大手筋と(明日香村に通ずる)岡口門の
分岐点にある飛鳥時代の石造物
花崗岩製・高さ85幅75厚さ65cm

移築 二の門/小嶋寺
所在地:高取町観覚寺小字垣の内
元家老屋敷の長屋門
所在地:高取町旧土佐街道沿い

登城アクセス
 車  : 西名阪道路郡山IC〜国道24号線/橿原〜国道169号線〜右折/
  下土佐〜町道〜上子嶋沢砂防公園

駐車場 : 上子嶋沢砂防公園脇の路肩に駐車スペース(2〜3台)あり


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