| 関東地方 |
| 上総(千葉県中部) |
南総里見氏全盛期の居城として北条氏との争奪戦を展開
久留里城 別称=雨城 (山 城) 【所在地】 千葉県君津市久留里
| 築城時期: 1537年(天文6)頃 | 築城者: 里見義尭 |
復元 天守閣と本来の土壇(天守台)
昭和54年築造の二層三階・初期望楼風の天守 |
| 遺 構 《 復元/天守閣 遺構/曲輪・天守台・土塁・堀切・井戸 》 | |
|
久留里城は築城に際し、三日に一度雨が降ったという伝説から「雨城」の別名があります。
江戸時代を代表する儒学者新井白石は、青年時代の数年を土屋家の家臣としてこの地で過ごしました。久留里小学校前は、新井白石の父正済(まさなり)が土屋利直に仕えた屋敷跡と推定されています。
久留里城の周辺は、今でも奥深い山里の雰囲気が漂っており、野鳥の宝庫でもあります。
天文年間(1532〜55)の後半になると、安房の里見義尭は上総に進出し、新たに城地を定めて久留里城を築き、ここを本拠地として里見氏の全盛期を迎えた。
1590年(天正18)の豊臣秀吉による小田原攻めの際、遅参した里見氏は上総の所領を没収され、安房一国に閉塞され、以後、関東は徳川氏の支配となる。
久留里城には大須賀忠政(榊原康政の子)が3万石で入り、のちに遠江横須賀に移る。
土屋家と言えば、常陸土浦藩が思い浮かぶが、土屋数直(常陸土浦土屋氏初代藩主=忠直の二男)は利直(久留里土屋氏2代)の弟であるので、本来この久留里城の土屋家は大名ではなくなったが、土浦藩土屋家が土屋氏の嫡流と言える。
|
|
森林体験交流センター脇の駐車場 左側が東尾根、右側が西尾根です |
上の駐車場への入り口手前にある城山隧道を見る
左端看板近くに本来の登城路があります。 健脚な方は城址風情漂うコチラをどうぞ |
二の丸へ通じる車道
杖が置かれています。森林体験交流センターにて 資料館まで車で登れる許可書が貰います |
城山の比高差を示す案内板
天守閣のある本丸までの高低差が約80m、徒歩で約20分です |
火薬庫跡の標柱が建つ曲輪跡
削平地は登城散策路の右方です |
上から下方(逆向き)に主尾根上の登城散策路を見る
脇には削り残しの尾根土塁のような地形が続いている |
主尾根上の掘切1
|
主尾根上の掘切2
|
掘切2からみた眼下の旧城下の様子
|
「お玉が池」
|
二の丸直下の薬師曲輪跡
展望台となっていますが、とても良い眺めです |
二の丸跡西側に建つ新井白石像と長屋塀(復元)
白石は青年期の数年を当地で過ごしました |
二の丸跡に建つ久留里城址資料館
入館料無料ですので是非立ち寄りを |
本丸直下の天神曲輪跡
公衆トイレがあります |
本丸下の男井戸・女井戸(おいど・めいど)
|
本丸直下の波多野曲輪跡
|
本丸跡へ通じる通路
|
本丸北側にある削り残しの大土塁
|
天守裏側に残る土塀の痕
|
復元された天守閣
|
怒田方面への尾根へと向かう搦手口の土塁
|
本丸南東の腰曲輪となる阿弥陀曲輪
|
怒田尾根に向かうところに残る堀切3
|
搦手口となる怒田尾根へ至る通路部分
通路の両側は垂直削崖です |
怒田尾根の巨大堀切4
この先、怒田尾根にはいくつもの堀切があるらしいですが、 ここまでで引き返しました |
本丸直下の天神曲輪から東尾根へと向かう通路部分
|
二の丸東側の腰曲輪にあたる久留里曲輪跡
ここには歌碑がいくつか並んでいます |
帰路、主尾根上から見た(里見氏時代の館跡とも言われている)駐車場 |
久留里城周辺案内図 (現地案内板より) |
| 登城アクセス | |
|
車 : 館山自動車道木更津北IC〜国道409号線〜右折/国道410号線(久留 里街道)〜左折/市道〜左折/久留里神社手前〜トンネル〜駐車場 駐車場 : 市立久留里城址資料館下段にあたる森林体験交流センター脇の無料 駐車場(130台)を利用 |
|
「久留里城址資料館」(「千葉県博物館協会」HP内)公式 HPへ
「JA千葉中央会」さま提供の 「久留里城址資料館」 のページへ