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ザ・登城

関東地方

上野(群馬県)

雅楽頭系酒井家の播磨姫路藩の分家筋

伊勢崎陣屋[いせさきじんや]  (陣 屋) 【所在地】 群馬県伊勢崎市曲輪町28(市立北小学校)

 築城時期:  1681(天和元)年  築城者:  酒井忠寛

いせさき じんや 同聚院の 武家門
薬医門形式の四脚門

 遺 構  《 遺構/なし  現存/武家門 》
 伊勢崎陣屋は広瀬川の東岸に存在した。この陣屋の前身を赤石城と伝えているが、その場所は陣屋の北側、窪地を隔てた同聚院からその西方の地域であった。

 かつての陣屋の縄張りは、広瀬川近くに本丸を置き、周囲を二の丸で囲んだ。北西部は土塁で仕切られて、乾崎曲輪(けんざきくるわ)と呼ばれる一画があった。
 全体では約400m四方、本丸は約100m四方で南北に虎口があった。のち、南の大手前には堀が西方から入り込み外枡形形状の空間を形成していた。
 東門の北側には櫓台と見られる広大な張出があった。二の丸は陣屋の大半を占める曲輪で、その中央には政庁であり居館でもあった御殿があり、周囲には多くの建物が建ち並んでいた。

 現在、陣屋跡地は市立北小学校の敷地となっており、遺構は何も残されていない。
 前身の赤石城跡と伝わる北小学校の北側に同聚院があるが、この寺の総門が、稲垣長茂が藩主となった時の陣屋門(武家門)とされ、市の重要文化財に指定されている。


 1590(天正18)年、徳川家康が関東に入部してからは、上州白井城主・本多氏の支配地となり、1597(慶長2)年、志摩鳥羽の稲垣家の祖、稲垣長茂が加増によって1万石を領して入り、次の重綱の代に越後三条(新潟県三条市)へ転封となり、1616(元和2)年、赤石城は廃城となった。

 替わって、酒井重忠の嫡男、のちの大老酒井忠世が部屋住み世嗣のまま、5.2万石を与えられ伊勢崎に居住するが、忠世が本家前橋藩を継ぎ、そのまま前橋藩領に組み込まれる。

 1681(天和元)年、忠世の2代あとの「下馬将軍」酒井忠清が、三男の酒井忠寛に2万石を分知し、前橋藩の支藩的な性格を帯びて、伊勢崎藩が再成立し、旧赤石城跡の南方に陣屋を築く。
 その後、前橋藩の雅楽頭系酒井家は播磨姫路へ移って行くが、伊勢崎の地は、酒井家が9代領して明治を迎える。

市立北小学校敷地が陣屋跡になります
登城時は、校舎改築と地域交流センターの
建築工事が行なわれていました

正門近くには、大正4(1915)年に建造された
旧時報鐘楼が保存されている
小学校真南の道路に見られる枡形の名残り
城郭大系の要図によると、
この場所は新大手口に位置しています
広瀬川に架かる栄橋周辺
小学校(本丸跡)正門前の道路を真っ直ぐ西に行った
場所となります。左後方は赤城山

登城アクセス
 車  : 北関東道伊勢崎IC〜右折/国道17号線〜左折/赤城見大橋〜国道
  462号線〜右折/東本町〜県道2号線〜右折/本町一丁目〜突き当たり

駐車場 : 市立北小学校敷地内の駐車スペースを拝借


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