| 関東地方 |
| 上野(群馬県) |
雅楽頭系酒井家の播磨姫路藩の分家筋
| 築城時期: 1681(天和元)年 | 築城者: 酒井忠寛 |
同聚院の 武家門
薬医門形式の四脚門 |
| 遺 構 《 遺構/なし 現存/武家門 》 | |
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伊勢崎陣屋は広瀬川の東岸に存在した。この陣屋の前身を赤石城と伝えているが、その場所は陣屋の北側、窪地を隔てた同聚院からその西方の地域であった。
かつての陣屋の縄張りは、広瀬川近くに本丸を置き、周囲を二の丸で囲んだ。北西部は土塁で仕切られて、乾崎曲輪(けんざきくるわ)と呼ばれる一画があった。
現在、陣屋跡地は市立北小学校の敷地となっており、遺構は何も残されていない。
替わって、酒井重忠の嫡男、のちの大老酒井忠世が部屋住み世嗣のまま、5.2万石を与えられ伊勢崎に居住するが、忠世が本家前橋藩を継ぎ、そのまま前橋藩領に組み込まれる。
1681(天和元)年、忠世の2代あとの「下馬将軍」酒井忠清が、三男の酒井忠寛に2万石を分知し、前橋藩の支藩的な性格を帯びて、伊勢崎藩が再成立し、旧赤石城跡の南方に陣屋を築く。
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市立北小学校敷地が陣屋跡になります
登城時は、校舎改築と地域交流センターの 建築工事が行なわれていました 正門近くには、大正4(1915)年に建造された 旧時報鐘楼が保存されている |
小学校真南の道路に見られる枡形の名残り
城郭大系の要図によると、 この場所は新大手口に位置しています |
広瀬川に架かる栄橋周辺
小学校(本丸跡)正門前の道路を真っ直ぐ西に行った 場所となります。左後方は赤城山 |
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| 登城アクセス | |
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車 : 北関東道伊勢崎IC〜右折/国道17号線〜左折/赤城見大橋〜国道 462号線〜右折/東本町〜県道2号線〜右折/本町一丁目〜突き当たり 駐車場 : 市立北小学校敷地内の駐車スペースを拝借 |
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