| 関東地方 |
| 上野(群馬県) |
前田利家の五男・利孝が立藩した上州唯一の外様藩
| 築城時期: 1616(元和2)年 | 築城者: 前田利孝 |
御殿正殿
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| 遺 構 《 遺構/土塁・櫓台 現存/御殿・城門 》 | |
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七日市陣屋跡は現在その大半が富岡高校の敷地となっており、校内には陣屋の正殿と黒門と呼ばれる中門が現存しています。北東隅の櫓台は御殿山と呼ばれる大規模な土塁である。
陣屋はそのほとんどが大名屋敷とか藩邸のような平城が多いので、遺構や縄張りが残る事は少ないのですが、七日市陣屋跡は建物や遺構の残る貴重な陣屋跡です。 高校の敷地内ではあるが遺構の見学は自由であり、道標や看板の類も設置されている。しかし、やはり学校教育の場であることを考慮して、学校当局の許可を得たうえで、静かに登城を果たしたいものです。
“大坂の陣”で利孝は徳川秀忠に属して出陣しその功により、1616(元和2)年、上州甘楽で1万石を与えられ、七日市に陣屋を構えた。これが七日市藩の立藩である。
以後、七日市藩は一家支配で、前田家12代の陣屋として明治維新まで存続している。
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陣屋跡となる富岡高校の正門前
高校の門柱もデカイですが、負けず劣らず 藩邸跡のタテ看板も見事! |
御殿正殿
妻側北西面。右は高校校舎 |
黒門(表側)
高校の東門として使われています |
黒門(裏側)
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東北角部の土塁
土塁の北側は国道254号線により削られてしまっています |
正殿と黒門のある一角は日本庭園風に整備されていて、さながら大名庭園の趣があります |
陣屋とは直接関係ありませんが…
「稲部市五郎種雅」の碑
現在の長崎県出身の市五郎種昌は江戸時代後期、長崎出島で通訳をしていた。
(国道254号線の北側にあります/市指定史跡)
文政11(1828)年、世にいう「シーボルト事件」(オランダ商館医師(ドイツ人)が、当時、海外への持ち出しを固く禁じられていた日本地図を、故国に持ち帰ろうと図った事件)に関わったとして50人もの人が捕われ、厳しい処分を受けた。 市五郎種昌もその一人で、異郷の七日市藩に身柄預けとなり、それから11年間牢内に閉じ込められ、天保11(1840)年、病のために牢死した。明治元(1868)年恩赦によってその罪は消えたが、その事跡を知る人もなかった。 この事件、人となり、業績を後世に伝えようと、牢跡であるこの地に石碑が建てられました。 |
| 登城アクセス | |
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車 : 上信越道富岡IC〜左折/インター西通り〜左折/T字路〜国道254号線 〜左側に富岡高校あり 駐車場 : 富岡高校敷地内の駐車スペースを拝借 |
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