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関東地方

上野(群馬県)

前田利家の五男・利孝が立藩した上州唯一の外様藩

七日市陣屋[なのかいちじんや]  (陣 屋) 【所在地】 群馬県富岡市七日市1401(富岡高校敷地内)

 築城時期:  1616(元和2)年  築城者:  前田利孝

なのかいち じんや 御殿正殿

 遺 構  《 遺構/土塁・櫓台  現存/御殿・城門 》
 七日市陣屋跡は現在その大半が富岡高校の敷地となっており、校内には陣屋の正殿と黒門と呼ばれる中門が現存しています。北東隅の櫓台は御殿山と呼ばれる大規模な土塁である。

 陣屋はそのほとんどが大名屋敷とか藩邸のような平城が多いので、遺構や縄張りが残る事は少ないのですが、七日市陣屋跡は建物や遺構の残る貴重な陣屋跡です。

 高校の敷地内ではあるが遺構の見学は自由であり、道標や看板の類も設置されている。しかし、やはり学校教育の場であることを考慮して、学校当局の許可を得たうえで、静かに登城を果たしたいものです。  


 七日市陣屋の藩祖は、加賀藩の藩祖・前田利家57歳の時の庶子、五男・前田利孝である。
利孝は利家の死後、異母兄・前田利長が徳川家康と本多正信の主従が画策した「幻の家康暗殺事件」の疑惑をかけられて、利長の生母・芳春院(まつ)と共に人質として江戸で幼年期を過ごした。

 “大坂の陣”で利孝は徳川秀忠に属して出陣しその功により、1616(元和2)年、上州甘楽で1万石を与えられ、七日市に陣屋を構えた。これが七日市藩の立藩である。
 小藩であったため、また天保の大飢饉などの天災も相次いだために本家である加賀前田藩の財政的援助を受けて、ようやく存続されるというような程度の小藩であった。

 以後、七日市藩は一家支配で、前田家12代の陣屋として明治維新まで存続している。

陣屋跡となる富岡高校の正門前
高校の門柱もデカイですが、負けず劣らず
藩邸跡のタテ看板も見事!
御殿正殿
妻側北西面。右は高校校舎
黒門(表側)
高校の東門として使われています
黒門(裏側)
東北角部の土塁
土塁の北側は国道254号線により削られてしまっています
正殿と黒門のある一角は日本庭園風に整備されていて、
さながら大名庭園の趣があります

陣屋とは直接関係ありませんが…

「稲部市五郎種雅」の碑

 現在の長崎県出身の市五郎種昌は江戸時代後期、長崎出島で通訳をしていた。
文政11(1828)年、世にいう「シーボルト事件」(オランダ商館医師(ドイツ人)が、当時、海外への持ち出しを固く禁じられていた日本地図を、故国に持ち帰ろうと図った事件)に関わったとして50人もの人が捕われ、厳しい処分を受けた。

 市五郎種昌もその一人で、異郷の七日市藩に身柄預けとなり、それから11年間牢内に閉じ込められ、天保11(1840)年、病のために牢死した。明治元(1868)年恩赦によってその罪は消えたが、その事跡を知る人もなかった。

 この事件、人となり、業績を後世に伝えようと、牢跡であるこの地に石碑が建てられました。

(国道254号線の北側にあります/市指定史跡)

登城アクセス
 車  : 上信越道富岡IC〜左折/インター西通り〜左折/T字路〜国道254号線
  〜左側に富岡高校あり

駐車場 : 富岡高校敷地内の駐車スペースを拝借

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