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北陸地方

加賀(石川県南部)

謙信、「手取川の戦い」の急襲直前に七尾城より入城!

加賀 松任城[まつとうじょう] 別称=一名蕪城、鏑木城  (平 城) 【所在地】 石川県白山市古城町

築城時期:  鎌倉時代初期 築城者:  松任範光か?

まつとう じょう 縄張図付きの説明板
本丸跡の「おかりや公園」に設けられています

 遺 構  《 遺構/なし 》

 JR松任駅前は「駅南土地区画整理事業」と称して、整備再開発工事がすすめられていましたが、この駅前にある「おかりや公園」が、松任城の本丸跡になります。
 公園南側の松任市民文化会館のあるあたりが二の丸跡になり、公園やこの一帯には、城の遺構は何も残されていない。ただ、縄張図付きの説明板と石碑が設けられているだけです。

 松任城跡には、廃城後、加賀藩の中出蔵が設けられて利用されていたという。
 幕末近い1819(文政2)年に、若宮八幡宮の「御仮屋」を一時、この地に建てたことから「おかりや公園」と通称されるようになったという。


  松任範光が鎌倉時代初期に築城したと伝えられてはいるが、確実な史料はない。
 長享年間(1487〜1489)に鏑木常専が松任城主となり、鏑木氏は三代にわたり加賀一向一揆宗徒の中で重きをなし、1577(天正5)年に上杉謙信に落とされるまで、その支配は続いた。

 天正8年、柴田勝家が松任城を落城させ、家臣の徳山則秀が在城した。天正11年、前田利長が松任4万石を与えられ越前府中城(越前市府中一丁目)より移った。

 その後、秀吉の直轄領となり丹羽長重が城主となり、1585(慶長3)年、長重は加賀小松城に移る。

 “関ヶ原の役”での戦功により松任城は金沢城主・前田利長に加増され、利長家臣の赤座吉家が城代となった。
 1615(元和元)年、一国一城令によって松任城は廃城となった。

城址石碑 「おかりや公園」内の様子


上杉に逢うては織田も名取川はねる謙信にぐるとぶ長(信長)」

上杉謙信対織田軍 “手取川の戦い” 遠望の地に建つ石碑
(所在地:白山市水島/呉竹文庫駐車場脇)に刻まれた落書

縄張配置図
(現地案内板より)

「松任まつり」の大松明
大たいまつと手筒花火の荒れ狂う火の粉を背に勇壮に
打ちならす虫送り太鼓の連打競演「火まつり」に
使われる大松明

建物は公園南側の松任市民文化会館
「松任駅南土地区画整理事業」の看板
新市「白山市」の玄関口としての役割を担い、
「おかりや公園」を含む一帯7.5haの再開発事業を、
登城時にはすすめていました

登城アクセス
 車  : 北陸道金沢西IC〜合流/国道8号線〜右折/三日市〜市道〜直進〜
  左折/松任駅前交差点〜すぐに右折〜

駐車場 : 松任市民文化会館の駐車場を利用

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