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北陸地方

能登(石川県北部)

畠山氏庶子の松波氏が築城、謙信の能登攻略で落城

能登 松波城[まつなみじょう]  (平山城) 【所在地】 石川県鳳珠郡能登町字松波

築城時期:  1474(文明6)年 築城者:  畠山(松波)義智

まつなみ じょう 伝移築 搦手門
万福寺山門 : 能登町県道35号線沿い

 遺 構  《 遺構/曲輪・土塁・堀・庭園  移築/城門 》
 松波城は日本海に面した松波地区の西側、松波川と平行して走る丘陵先端部に位置する平山城で、階段状に郭を普請した連郭式城郭です。
北・南側は急傾斜の断崖で、緩斜面の東側が大手筋と想定され、南から東麓を流れる松波川を自然の濠としています。内部には庭園があるなど、城主居館を含む館城と想定されます。

 松波城の搦手門と伝えられる城門が、万福寺山門として移築され残っています。


 松波城は“応仁の乱”の後、能登国に下向した守護職畠山義統が奥能登の支配拠点として1474(文明6)年に築き、三男義智を入部させ支配にあたらせました。
 以後、松波城は約100年間にわたり能登畠山氏の支城として松波畠山氏が在城しました。5代義龍の代には、珠洲郡の在地領主松波氏を吸収し、また妹を鳳至郡の在地領主で守護職畠山氏の重臣長英連に嫁がせるなど松波畠山氏の勢力基盤の強化に努めます。
 その後、義龍の跡目は守護職畠山義綱の三男義親が継ぎました。

 1576(天正4)年に越中・能登に侵攻した上杉謙信は、翌天正5年7月、七尾城を包囲。この報を聞いた義親は七尾城の救援に赴きますが、遊佐続光等が謙信に内通したため9月15日に七尾城は開城を与儀なくされた。
 義親は松波城に戻り上杉軍と対峙し、珠洲郡で一揆衆を組織して上杉軍に備えましたが、長沢光国を大将とした上杉軍は一揆軍を蹴散らし、23日には松波城を包囲、24日には上杉軍の総攻撃が開始され、義親は自害し、松波城は落城した。

県道35号線の左折地点
左側に「松波城址公園入り口」の看板があります 
松波川に架かる橋の上から城址を望む
城址入り口
「城址公園案内図」が設置されています
その先にある「雑木林散策路 松波城址コース」の案内板
本丸跡に残る廃墟となった「畠山武道館」建物 本丸跡に建つ城址石碑

登城アクセス
 車  : 能登有料道路穴水IC〜右折/県道1号線〜左折/穴水署前/金比羅〜
  国道249号線〜道なりに直進〜国道249号線〜県道35号線〜
  左折/道路左側に松波城の看板あり〜松波川を渡る〜道なりに突き当たり

駐車場 : 駐車場は無し・路上駐車可能

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