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北陸地方

越中(富山県)

越中一向一揆宗徒の拠点となった城郭伽藍

越中 井波城[いなみじょう]  (平 城) 【所在地】 富山県南砺市井波

築城時期:  1484年(文明16) 築城者:  瑞泉寺

いなみ じょう 本丸土塁

 遺 構  《 遺構/曲輪・櫓台・土塁・堀 》

 井波城は、越中一向一揆の総本山・瑞泉寺が築いた「一向一揆宗徒の拠点となった城郭伽藍」だ。
瑞泉寺の山門を一目見れば、北陸の一向宗の中心として、往時は三百七十寺を擁した一大勢力であったことがうなずける。

 井波城跡(瑞泉寺旧地)は、八乙女山南麓の裾地となる標高143mの地に、東西250m、南北230mの規模を測る城で、現・瑞泉寺の東側にある井波八幡宮が本丸跡、その東側に庭園のある白浪水があり、更にその東側の招魂社の社殿も建つ古城公園が二の丸跡で、綿貫民輔衆院議員宅が三の丸跡となっている。

 城地は市街地にあり、かなり破壊されているが、分厚く高い土塁が本丸跡と二の丸跡の北側を除く三方を取り囲むように残されている。本丸跡の井波八幡宮には、城の井戸であった臼浪水が残されている。また、二の丸跡の大手口には、樹齢五百年とも言われる「松島大杉」の巨木が兵火をくぐり抜け、歴史の生き証人として今も佇んでいる。

 旧井波町は木彫彫刻で有名ですが、瑞泉寺の山門や本堂その他の堂塔には井波彫刻の粋を結集した彫刻が施され、参道両側の通りには彫刻師さんの店が並んでいます。


 瑞泉寺3代蓮乗(本願寺8世蓮如の次男)の時代は、土豪や武士団との抗争が激しく、1484(文明16)年頃、本願寺は護法のため瑞泉寺の旧地に塁濠を築き、越中一向一揆の拠点とする城廊を構え井波城と称した。

 1581(天正9)年、瑞泉寺7代顕秀のときに富山城主・佐々成政と戦い、堂舎・町屋ことごとく兵火に罹り落城した。  佐々成政は、井波城を大改修して家臣前野小兵衛勝長を守将としたが、天正13年の豊臣秀吉による“越中佐々征伐”のとき、金沢城主・前田利家に攻められ落城した。 井波城は前田氏の持城となったがやがて廃城となった。
 (現地案内板の説明文を参照 : 南砺市教育委員会)

本丸跡南西角の蚕堂周辺の土塁
建物は井波八幡宮の蚕(かいこ)堂の覆屋(上屋)です 
本丸跡に建つ井波八幡宮の本殿

古城公園となっている二の丸跡

奥の建物は「招魂社」の社殿です

瑞泉寺の豪壮な山門
瓦葺き総欅造入母屋重層造り/県指定文化財
幾度も焼失しているが、現山門は
文化年間(1804〜1818)の建立である
瑞泉寺入り口の石垣
外から向かって左側部分
瑞泉寺入り口の石垣
外から向かって右側部分
瑞泉寺の式台門
唐破風造り/市指定文化財
門扉に菊の紋章があり、勅使参向の際の
出入りに使われる門です

地獄谷
外堀の水落ち口だったといわれる

大手口に佇む巨木「松島大杉」
幹周り7.6m、樹高40.4m、推定樹齢
450〜530年 : 市指定文化財

縄張図
(現地案内板より)

登城アクセス
 車  : 北陸道砺波IC〜右折/国道359号線T字路〜右折/太郎丸〜国道156
  号線〜直進/国道471号線〜右折/T字路〜県道21号線〜左折/T字路〜
  瑞泉寺参道〜瑞泉寺

駐車場 : 古城公園(護国寺)前の参拝者用無料駐車場を利用

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