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北海道地方

蝦夷(渡島支庁)

箱館戦争で壮絶死した土方歳三の“鷲ノ木上陸地”とセットで見学を

南部藩砂原陣屋[なんぶはんさわらじんや]  (陣 屋)  【所在地】 北海道茅部郡森町砂原3丁目

 築城時期:  1856(安政3)年  築城者:  南部美濃守

なんぶはん さわら じんや 北側の虎口部分
国道278号線の反対側部分です

 遺 構  《 遺構/曲輪・土塁・空壕 》
 南部藩砂原陣屋は旧砂原町市街地の真ん中に位置しており、砂原漁港近くの国道278号線沿いに面しているため、見つけやすいです。

 南部藩のモロラン陣屋やヲシャマンベ陣屋と同じく土塁が方形となっています。
四角形に土塁は残されていますが、土塁外側の空壕は草が繁っていてよく確認できませんでした。
これで、モロランの出張陣屋とヲシャマンベの分屯所と3箇所の陣屋を見たわけですが、これらの中では規模が一番小さく、モロラン陣屋の半分もない大きさでした。


 幕府は安政2(1855)年4月、仙台、秋田、南部、津軽および松前の五藩に、蝦夷地警備の分担を命じた。

 南部藩は箱館表出岬の警護を主として、恵山岬から東蝦夷地・幌別まで一帯の海岸を持場として、箱館谷地頭の北方に元陣屋をおき、南部藩砂原分屯所を安政3年には旧四軒町に設け、兵隊約50名を配置し、市中と神社脇や駒ケ岳の麓に、小屯(見張所)をおいた。
 旧砂原町四軒町の分屯所は、東西37間(66.6m)、南北33間(59.4m)の方形に、周囲の土塁の高さ、約一丈(約3m)である。

 『砂原陣屋跡案内解説板』より

国道278号線沿いに立つ縦看板 国道278号線側の南側虎口

陣屋跡内部から見た外周土塁
陣屋跡の内部
南側虎口から北側虎口にかけての中央部分を
生活用の通路が横断していました


国道278号沿いに立つ案内標識  海岸に建つ鷲ノ木上陸地の木碑  復元開陽丸(江差港)

榎本武揚軍鷲ノ木上陸地

 明治元年(1868)旧暦10月20日、江戸城無血開城を不服とした旧幕臣で軍艦奉行の榎本武揚率いる旧幕府艦隊の開陽丸を旗艦とする8隻の軍艦で噴火湾中央部の鷲ノ木村に上陸した。
 この時、鷲ノ木は積雪30cm、北西の強風で波は荒れ、「タバ風」と呼ばれる凍てつく暴風雨により、16名の兵士が夢にみた蝦夷地を目前にして、上陸を果たすことなく命を落とした。
当時の鷲ノ木村は戸数150、人口約800であったが、旗艦開陽丸ほか七艦(回天・蟠龍・長鯨・神速・鳳凰・回春・大江)で、上陸したのは榎本をはじめ、大鳥圭介、土方歳三、人見勝太郎ら約3000名の軍勢であった。

 翌21日、人見勝太郎らの先発隊が箱館府総督・清水谷公考へ無血占領布告文を届けるために先発し、翌22日には、土方歳三隊と大鳥圭介隊が二手に分かれて箱館へ進軍開始。
同日、“峠下の戦い”(旧七飯町)で先発隊が箱館府軍を撃破し、5月18日に終結を迎える“箱館戦争”へと突入していったのであった。

 この鷲ノ木上陸地は、同じ国道5号・278号線沿いの「南部藩砂原陣屋跡」の手前(長万部町寄り)約14kmにあります。
平日にも関わらず、歳三人気か、夏休み入りした孫を乗せて見学に来る人が結構いました。


鷲ノ木上陸地の場所

参考サイト KUBOの家系城郭研究所 KUBO 様

登城アクセス
 車  : 函館市〜国道5号線〜右折/国道278号線〜道の駅「つどーる・プラザ・
  さわら」の先約900m左側

駐車場 : 無し(陣屋跡敷地内に駐車)

森町公式HPへリンク
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