| 中国地方 |
| 因幡(鳥取県東部) |
鬼ならぬ鹿と遭遇! 鹿角をゲットした思い出の城
| 築城時期: 1200(正治2)年頃 | 築城者: 矢部暉種(てるたね) |
二の丸〜本丸への 虎口部石垣
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| 遺 構 《 遺構/曲輪・天守台・石垣・空堀・土塁 》 | |
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若桜鬼ヶ城は、標高446mの鶴尾山に築かれた総石垣造りの山城で、鳥取城・鹿野城とともに因幡三名城の一つに数えられている。
山頂の主郭部に天守台、本丸、二の丸、三の丸を配した連郭式の山城で、鬼ヶ城と呼ばれるほどの風情を備えた城郭である。 矢部氏が築いた砦程度の中世城郭部分と、豊臣大名である木下重賢と、次の山崎氏が大改修を加えて石垣造りとした近世城郭部分の両方の遺構が残されているのが特徴である。
比高252メートルの山麓から城山林道があり、山頂近くまで車で行くことが出来る。駐車場から尾根沿いの馬場跡を通り、主郭部まで歩いて約15〜20分。
本丸跡や天守台からの眺めは素晴らしく、登城した時は、雲行きが急変して降雨し、今にも、本当に鬼が出てきそうな雰囲気になってきました。
尼子勝久を擁立した山中鹿介の第二次尼子氏再興の1575(天正3)年、織田信長方の助力を得て若桜鬼ヶ城を攻め落とし、山中鹿介らは同城に篭城するが、翌天正4年、毛利方吉川元春の大軍に攻囲され、落城落ちのびている。
1578(天正6)年、織田信長から中国攻略を命じられた羽柴(豊臣)秀吉は若桜鬼ヶ城を攻略、木下重賢を守将に入れ、若桜鬼ヶ城を因幡平定の一拠点とした。
1600(慶長5)年の“関が原の戦い”で西軍に与した木下重賢は自害し、替わって、摂津三田より山崎家盛が30,000石で入封した。
1617(元和3)年、家盛の後を継いだ山崎家治は備中成羽(岡山県高梁市)に移封となり、若桜鬼ヶ城は一国一城令により廃城となった。
廃城後、若桜の地は鳥取藩主・池田氏の領国となっていたが、1700(元禄13)、鳥取城主・池田光仲の五男・清定が1万5千石を分知されて鳥取西館新田藩(藩庁は鳥取城下に置かれた)を構えた。
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下の付近案内図中のAのところの登山道入り口 ここからも徒歩で登れますが、 付近に駐車スペースはありません |
城山林道の途中の残雪 |
下の付近案内図中のBのところの馬場跡
城山林道の終点から更に進むと ここまで車で進入できます |
徒歩での城址への登り口 |
本丸南側直下の石垣
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三の丸大手門跡の近く
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三の丸大手門(桜門)跡
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二の丸跡北端部から見下ろした若桜の町並み
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二の丸跡
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いい味を醸し出している手作り風の城址碑
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本丸跡
奥に見えるのが天守台です |
本丸跡より東方向を見下ろす
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天守台石垣の西面
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今にも鬼が出てきそうな雲行きになってきました…
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天守台上から馬場跡に置いてきたレンタカーを見下ろす |
本丸南西側下部の虎口石垣を上から見る
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本丸南側の石垣
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本丸南東側下部の石垣
犬走り状の通路になっています |
付近案内図
(現地案内板より) |
山頂部詳細図
(現地案内板より) |
凡例
(現地案内板より) |
鹿さんの角
若桜鬼ヶ城の本丸下腰郭に辿り着いた時、3頭の日本
長さ:55センチメートル
カモシカと遭遇! それより少し前に降り出した雨音に 気がつかなかったのか、慌てて逃げ出したうちの1頭が 大きな岩石にぶつかり転倒し、大事な角の片方を折って しまった。 かわいそうと思いつつ、珍しいので頂いて持ち帰りました 鹿さん、驚かしてゴメンナサイ…
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| 登城アクセス | |
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車 : 中国道山崎IC〜右折/山崎インター〜国道29号線〜左折/旧道入り口 〜町道〜若桜橋〜左折/若狭駅入り口〜右折〜左折/若狭小学校〜右折〜 右折〜城山林道〜突き当たり(馬場跡) ※ 中国道作用JCTから鳥取ICまでの中国横断自動車道姫路鳥取線が 平成21年度に開通予定です 駐車場 : 城山林道の終点に無料駐車場(20台ほど)あり |
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