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近畿地方

但馬(兵庫県北部)

天空の城! 頂きに累々と横たわる石垣群の見事な造形美

竹田城 別称=虎臥城 (山 城) 【所在地】 兵庫県朝来郡和田山町竹田
更新 合併(2005.04.01)により 兵庫県朝来市和田山町竹田 に住所変更 

 築城時期:  1443年(嘉吉3)  築城者:  山名持豊

たじまたけだ じょう
天守台より南千畳を望む
壮大な石垣群に感動・興奮・・・間違いなし

 遺 構  《 遺構/天守台・曲輪・石垣・井戸跡・竪堀 》
古城山山頂に累々と横たわる石垣群
手前は、円山川に架かる俵米橋
山腹の駐車場脇に設けられた大手口への模擬山門
この先、大手門下部まで車で行けますが、数台分のみの路駐スペースがあるだけですので徒歩で行かれることを
オススメします
こちらは、同じ山腹の駐車場から花屋敷へ通じる
搦手口登山通路です
大手門跡直下の遊歩道
石垣は北千畳の見付櫓台
大手門手前の見付櫓台
この櫓台は、北千畳の東端部になります
大手門跡
大手口は二つの外枡形が連続しています
右は北千畳へ、左は三の丸へ
三の丸北西端より見た北千畳
松の木の南千畳に対して、北千畳は桜の木があります
北千畳見付櫓台から見た、左から
南千畳・南二の丸・本丸
三の丸北西端より見た二の丸・本丸の石垣群 三の丸から二の丸への虎口
本丸跡
右奥は天守台、右手前は二の丸平殿からの虎口 
天守台 西面
石段はありません、木の梯子が置いてあります
往時は、付櫓内の階段を利用していたと思います
10.7m×12.7mのやや歪な形
 JR竹田駅および、天然の外堀となる円山川周辺からは、虎臥山(=古城山・標高353.7m)の山頂に累々と横たわる石垣の列を見上げることができます。
また、本丸・天守台からは何も遮るものがなく、360度の大パノラマを堪能することができます。

 とくに、冬季の晴れた朝には朝霧に包まれ、壮大な石垣群が雲海の上に浮かぶ様は、まさに、「天空の城」・・・この世のものとは思えない絶景です。
 建物は何一つ無くても、穴太衆により築かれた石垣の、飛鳥が双翼を広げたごとく累々と横たわる姿は、、典型的な織豊系の山城であるとともに、「我が国屈指の山城」の遺構が完存しています。

 日本三大山城(美濃岩村城大和高取城備中松山城)も、それぞれに素晴らしいものがありますが、竹田城が、関が原以後廃城されず、存続していたならば間違いなく「日本四大山城」に数えられ、その与える感動は最たるものと言えます。

 とにかく、城郭ファンならずとも、一度、機会を設けて訪ね、自分の眼で確かめてみてください。満足度120%を保障します。


 竹田城の歴史は、但馬守護・山名持豊(宗全)の支城として、太田垣光継に構築を命じ、1443年(嘉吉3)、土塁を巡らせた城を完成させ、太田垣光景に守らせた。

 以来、太田垣氏は6代にわたり続いたが、1572年(天正元)、織田方・羽柴秀吉の二度にわたる播磨侵攻の折、播磨龍野城(兵庫県龍野市)の赤松広秀に攻められ落城し、広秀が城主となり、太田垣・山名氏は没落した。

 天正5年、秀吉は、播磨侵攻の勢いに乗じて但馬に攻め入り、竹田城は但馬攻略に当たった弟・羽柴秀長に預け、秀長が竹田4万石の城主となった。
天正8年、秀吉の命により但馬平定を成し遂げた秀長は、出石城(兵庫県出石町)に入り、その後、竹田の城は秀長の属将・桑山重晴に預けられた。

 1585年(天正13)、重晴が紀伊和歌山城代に転じると、再び赤松広秀が城主に封じられた。着任後、広秀は竹田城の大規模な修築に取りかかり、13年の年月を費やし、現在に残る石垣群が築かれた。

 1600年(慶長5)、赤松広秀は“関が原の役”では西軍に加担して、家康に同行して出陣中の細川忠興に代わり父・幽斎の守る丹後田辺城攻めに加わる。
東軍勝利の報を受けて竹田城に撤退した後、広秀は、西軍に加担したことに対する家康への執り成し策を受け入れ、西軍方の鳥取城(鳥取県鳥取市)攻略を果たすが、城下に火を放ち市中を焼いたというかどで家康の勘気に触れ、自刃させられ、竹田城も廃城となった。

本丸より南二の丸・南千畳を見る 本丸より花屋敷を見る
天守台よりの西方向遠望
中央は播但連絡道路の虎臥城大橋 
天守台よりの東方向遠望
右は標高757mの朝来山、中腹には、但馬吉野と
呼ばれる桜の名所「立雲峡」があります
天守台より二の丸北東部分を見る 天守台(右石垣)東下の二の丸平殿
二の丸平殿から本丸への石段
急勾配で、中ほどから上が狭くなっています 
本丸西側下の二の丸奥殿
手前は花屋敷へ降りる石段
南二の丸跡 南千畳から南二の丸への虎口
右奥の一番高いところが天守台
南千畳南端部より南二の丸・本丸を見る
南千畳は松の木があります
南千畳からの大手虎口
左は櫓台です
南千畳からの搦手虎口
この手前、花屋敷へ通じる狭い間道になっています
花屋敷から見た二の丸奥殿・本丸
花屋敷跡 花屋敷から中腹の駐車場へ下る搦手通路

天守台東下の二の丸平殿から南二の丸・南千畳を見る

春は、南千畳・立雲峡の桜花爛漫
夏は、天空に輝く幾千もの星屑
秋は、雲海に浮かぶ巨石の舟の上
冬は、一面に広がる銀世界の中
春夏秋冬、幾度となく訪ねてみたい・・・

 角川映画「天と地と」のロケが住民総参加の中で行われ、平成元年、三億円の巨費を投じた天守閣や大手門・塀のセットが築営され、ライトアップされた城郭は、さながら、一夜城の出現か! と騒がれ、幻想的であったという。

 当時、近在から調達し、運び上げられた石垣の城郭普請には13年の歳月を費やし、その賦役に近郷の民百姓がかり出され、「田んぼには木が生えた!」という伝承が残るほど――、その辛酸は過酷を極め、困窮に陥った民衆の苦労はいかばかりか・・・

 秀吉の弟・小一郎秀長が手がけていた普請の後を受けて、近世城郭への大修築を施した赤松広秀の禄高は2万2千石であり、このような大規模な城郭普請の背景には、天下人の豊臣家からの戦略的意図による財政面での大きな支援があったのではないかとの説が有力になっています。

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再 登 城
2009.03.31
天守台上から見た南千畳


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