| 東海地方 |
| 飛騨(岐阜県北部) |
天領飛騨高山、江戸時代の町並みが残る街を見下ろす平山城
高山城 (平山城) 【所在地】 岐阜県高山市空町城址公園
| 築城時期: 1588年(天正16) | 築城者: 金森長近 |
本丸屋形石垣 平成8年に復元 |
| 遺 構 《 復元/屋形石垣 遺構/曲輪・土塁・堀 》 | |
二の丸跡にある城山児童公園
この一角に無料駐車場があります |
二の丸跡よりの搦手登り口
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金森長近が16年の歳月を費やして築きあげた飛騨第一の高山城も、今は往時の姿を偲ばせるものは何も無く、城山山頂の城址を訪れる観光客は皆無に等しいであろう。
溢れる人並みで騒がしい市街地の観光スポットに比べ、ここは、昼なお薄暗い静粛の世界で、森林浴に適した市民憩いの場所となっています。。 高山城は、高山市街東方の城山山頂部(標高686.6m)の旧天神山城跡に本丸屋形、本丸屋形の北方中腹に、現在は城山児童公園および高山別院(照蓮寺)となっている二の丸、更に平地部に三の丸(現在は飛騨護国神社)を配置した縄張りであった。 本丸屋形には、かつては二層3階の天守が築かれていたが、軍事的機能を最優先させた造形とは本質的に異なる御殿風の古い城郭形式をもった建物群であったのが特徴であった。
本丸屋形の石垣の一部が復元整備されている。また、二の丸から本丸屋形への登城道沿いの曲輪跡・門跡には、所々に石垣が残っています。
1585年(天正13)、豊臣秀吉は越中富山・佐々成政を攻め、その際、越前大野城主金森長近に飛騨の三木自綱攻略を命じ、松倉城(高山市)を攻め落として飛騨を平定した。
長近は、当初、鍋山城(高山市)を居城としたが、天神山古城に城を築くこととし、天正16年から慶長5年(1600)の13年間で本丸・二の丸を完成させ、以後3年かけて三の丸が築かれた。
1692年(元禄5)、金森氏6代頼時は羽前上山(山形県上山市)へ転封(5年後の元禄10年、美濃郡上八幡に転封)となり、飛騨は徳川幕府直轄領となる。
城は、加賀金沢藩主前田綱紀が城番を命じられ預かったが、維持管理に困窮した加賀藩の要望もあり、1695年(元禄8)、幕府から破却命令が出され、城番前田家によって徹底的に破壊され廃城となった。
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東北曲輪より水の手門跡を見る
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搦手之門跡および太鼓櫓跡
かつては、右端に十間櫓、 さらにその右に十三間櫓があった |
本丸屋形跡
本丸屋形跡からは、大きな樹木が邪魔をして 四方とも眺望が効かない |
所々に残っている石垣
二の丸跡から本丸屋形跡への大手道 |
麓の三の丸跡に建つ飛騨護国神社
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三の丸跡周りの水堀
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本丸屋形復元想定図
(現地案内板より) |
二の丸跡の城山児童公園にある金森長近 銅像 |
城山公園案内図
(現地案内板より) |
| 登城アクセス | |
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車 : 東海北陸道飛騨清見IC〜国道158号線
鉄 道 : JR高山本線高山駅〜徒歩約20分 駐車場 : 城山公園の無料駐車場を利用 |
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全国に唯一現存する郡代・代官所の
国史跡 高山陣屋 を紹介します
【所在地】 高山市八軒町1-5(JR高山駅から徒歩10分)
陣屋入り口
門前では、名物「朝市」が開かれます |
陣屋建物玄関前景
玄関へ入ると、幕府が好んで用いた 「青海波」紋様の壁紙が迎えてくれます |
御役所
江戸幕府から派遣された郡代・手付け・手代が 詰めていた執務室です |
吟味所・御白州
刑事事件を扱った場所で、 責台、箒き尻、罪人篭などが展示されています |
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1692年(元禄5)、徳川幕府は、それまで金森氏6代が支配してきた飛騨国を、豊富な森林資源(木材)と地下資源(金・銀・銅・鉛)に着目し、幕府直轄領としました。
高山城主金森家の向屋敷として使用されてきたこの場所に、幕府は代官や郡代を置き、飛騨の政治を行ないました。1776年(安永6)には代官役所から郡代所に昇格させ、1868年(慶応4)に至るまでの176年間、飛騨の国を支配しました。
江戸時代の代官(郡代)所とは、現在の官公庁にあたる役所で、御役所、御蔵、役宅の3ヶ所の施設建物から構成されています。
多くの文化遺産と観光資源に恵まれた飛騨の小京都「高山」を一度、訪ねてみてはいかがですか?
高山陣屋についての詳細は、こちら をご覧ください
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陣屋御蔵の資料室に、高山城の本丸屋形の復元想定模型が 置かれていました |
「高山御膳」という名の“飛騨牛たたき”と“蕎麦” の盛り合わせを食しました |