会場風景
後方建物は、土浦城東櫓(復元) |
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由来
特徴 |
関流砲術初代は、元米沢藩(山形県米沢市)上杉家臣・関八左衛門之信(ゆきのぶ)で、同藩霞流の祖・丸田九左衛門盛次に師事し、元和3年(1617)奥義を極め、さらに諸国の砲術家と接して工夫改良を積み重ね、関流を開祖した。南蛮流とも号えた。
寛永年中、上総国久留里藩(千葉県君津市)土屋家に仕え、寛文9年(1669)以降は常陸国土浦藩土屋家砲術指南役として、江戸屋敷において藩内外に砲術を伝授して幕末まで続いた。関流大筒町打ちの修行は侍士分以上の者に限られ、免許を受けた門弟は諸国の大名・藩士にも広く及んでいる。
関流は砲術・火術・兵法等全般に及ぶが、特に大筒町打(おおづつちょうう)ちを特技とした。起請文を取り修行を許され、十文目玉筒から始まり三百目玉筒で免許、更に五百目玉筒、奥伝九百目玉筒まで修行した。
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参照 : 射程距離の1町は、109メートル
開会式 宗家挨拶
演武者 宗家他射手20名 |
銘 「谷神(こくしん)」(900目玉筒)
玉径85mm・最大射程3.9キロメートル (土浦市指定文化財) |
打初め 関流第11代宗家 関 正信 氏 |
立放し
(両足を踏ん張り、上躯を直に腰を据え 台尻を頬に付け両腕で構えて放す) 五十目玉筒 玉径29mm・最大射程18町 |
立放し
百目玉筒 玉径40mm・最大射程22町 |
据 台
(人が抱えられない大きな筒は、仕掛台又は車台で放つ。巨砲(おおづつ)の部類となる) 九百目玉筒「谷神」 火入れ前 |
銘 「抜山銃(ばっさんじゅう)」
火縄点火発砲前 膝台小目当(ひざだいこめあて) (座して左の膝を立てて、銃を構えた左肘をのせて放つ。 最も安定した姿勢) |
銘 「抜山銃(ばっさんじゅう)」
発砲直後 二百五十目玉筒 玉径54mm・最大射程26町 (土浦市指定文化財) |
閉会式後、「谷神」を構えた第11代宗家・関正信 氏 を記念撮影 |
抜山銃に触らせてもらってご満悦の従者
この大筒は約30kgの重さがあります。私も構えてみようとしましたが、大人でも、とてもじゃないが、鍛錬修行を積まなければ、斜め上の構えを取ることなど出来ません!! |
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本丸広場一杯に広がる爆裂音。観客のざわめき音と拍手喝采。臨場感溢れる様子を 小さい画像で短いですが掲載してみました。是非、こちらもお楽しみください。 | |
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抜山銃 二百五十目玉筒 (膝台町打ち)
動画のストリーミング再生はコチラ
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火縄銃 釣瓶打ち (全員で連射) (稽古総仕上げの意味合いがあり)
動画のストリーミング再生はコチラ
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常陸・土浦城 (平 城) 【所在地】 茨城県土浦市中央一丁目 (県史跡指定)
茨城県南部に位置し、紫峰「筑波山」を背に、国内2位の淡水湖「霞ヶ浦」に面する土浦市は、
土浦城は、桜川が霞ヶ浦に注がんとするところの、沿岸低湿地の微高地(海抜5mほど)に巧みに築かれた平城であり、
秋に行なわれる日本一の「全国花火競技大会」とともに、レンコン生産量日本一」の“まち”として知られています。
往時の桜川は放流状に幾筋にも分流し、本流は城の土塁の裾を洗い、
分流はそれぞれ濠として城の守りの役割を担う水城であった。
ために、霞ヶ浦湖畔に浮かぶ亀の背のように見えたところから、「亀城」とも呼ばれていた。